再生短信バックナンバー (創刊1号~96号)
2015年7月より始まった若林記者による「再生短信」、第97号を迎えました。
原発事故から13年あまり。複雑で困難な課題はたくさんありますが、地域コミュニティの再構築、循環型社会の創造に向けて少しずつ進んでいます。
そのときどきの景色、表情、言葉・・・再生に向かう息吹を少しでも感じていただけたら幸いです。
(各号をクリックすると拡大して表示されます)
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1~5号 6~10号 11~15号 16~20号 21~25号 26~30号 31~35号 36~40号 41号~45号 46~50号 51~55号 56~60号 61~65号 66~70号 71~75号 76~80号 81~85号 86号~90号 91号~95号
「飯舘村からの挑戦」書評
2020年12月10日、当会代表の田尾陽一著『飯舘村からの挑戦 ~自然との共生をめざして』がちくま新書から発行されました。お読みいただいた方からの書評をご紹介いたします。本書と合わせこちらも是非ご一読ください。
(承諾いただいた方のものを掲載しています。)
5月5日掲載 | 山本義隆さん | 中島隆博さん | 与謝野達さん | 黒岩秩子さん |
5月19日掲載 | 三吉譲さん | 酒井ヒトシさん | 忽那英計さん | 明石康さん |
5月23日掲載 | 原田誠司さん | 森本晶子さん | 小林一さん | 杉野弘明さん |
5月30日掲載 | 北川フラムさん | |||
6月22日掲載 | 三輪睿太郎さん | |||
8月28日掲載 | 北村充成さん | |||
6月1日掲載 | 朝日新聞書評 | 週刊東洋経済 |
参考記事:Yahoo!ニュース オリジナル 特集 2021年3月10日
原発被災の飯舘村 村民に寄り添い、再生に取り組んだ元物理研究者たちの10年
山本 義隆さん『原発事故からの復興とは、新しい社会を作ることである』
・・・再生の会の活動は徹底的に飯舘にこだわって、飯舘に集中して行われている。それはもちろん、失われた飯舘の自然と社会を取り戻すためであるが、それと同時に未曾有の原発事故からの回復のモデルケースを創り出し世界に示すためでもあり・・・
(全文はこちら)
中島 隆博さん『新しい公共空間を開く』
東京大学出版会 UP 第50巻第4号 2021年4月より
・・・田尾さんにとって飯舘村と関わることは、若いときの宿題を、猛り狂う晩年において今度こそ成し遂げるという意味もあるのかもしれない。そしてそれは、田尾さん個人の宿題ではなく・・・
(全文はこちら)
与謝野 達さん
・・・これは国際的にも、ユニークな仕方でできた本だと感じます。飯舘村の村民を主とし、世界の多くの老若男女が関与してできたものだからです。・・・
(全文はこちら)
黒岩 秩子さん ご本人のfacebookより
・・・菅野宗夫さんが示した3原則
1.人災である。2.原子力発電所は、事故を収束させる技術を持っているべき。3.村民が帰村して安心して農業を営める施策を打つべき、に全面的に賛成した田尾さんは、一つ付け加えた・・・
(全文はこちら)
楊 淳婷(ヤン チュンティン)さん
・・・「再生」という言葉をメディアで聴くとき、常に虚しさ、または重量のない感覚を覚えるのですが、本書は震災の実情を曖昧に包み込むベールを剥がし・・・
(全文はこちら)
三吉 譲さん『原点に立ち帰って』
・・・人間には仲間の弱者 ・障害者にも人類以外の生命にも、時には生命のない岩・月・星などにも、喜び・悲しみ・苦しさを投影し共有する能力がある。・・・
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酒井 ヒトシさん
・・・原発事故からの歩みがていねいに記述されていて、再生の会の方々の活動の様子がよくわかりました。そして・・・
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忽那 英計さん「飯舘村からの挑戦」を読んで思考したこと
・・・田中正造の言葉、「真の文明は山を荒らさず、林を破らず、人を殺さざるべし」が、この著作のすべてを現している。・・・
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明石 康さん
・・・現代の日本が、ひいては世界が当面している原子力の持つ明らかな多面性が浮き彫りにされることになり、福島における大事故の場合には月並みな解決策を目指すことは決して許されないことになった・・・
(全文はこちら)
原田 誠司さん
・・・田尾さんは、『挑戦』のなかで、「被災」と「被害」を明確に区別し、福島は「被災者・地域」ではなく「被害者・地域」という認識が不可欠であると提起しています。・・・
(全文はこちら)
森本 晶子さん
・・・宗夫さんの「原発事故は明確な人災であり、原子力発電所はそもそも事故を収束する技術を持っているべきであり、村民が安心して農業を営み、生活する施策が打たれるべき」との主張に共感した私たちは・・・
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小林 一さん
・・・それぞれの分野で立派なお仕事をされているインテリの方々が、近代科学・技術の産んだ大災害に対して、科学と技術を使って、汚染の現状を解析し、日本で一番美しい村といわれた元の姿に戻そうという・・・
(全文はこちら)
杉野 弘明さん
復興農学会誌 Journal of Reconstruction Agriculture and Sciences
第1巻 第1号 2021年 1月 より
・・・飯舘村だけでなく、福島を始め被災した地域には無数の復興の個人史が紡がれてきたはずである。その記録の一つとして・・・
(全文はこちら)
北川 フラムさん
2021年3月10日福島民友(文化面)より
・・・本書や、私の村でのわずかな体験からも知れるのは、この地域には一個の人間として自律した、実に魅力的な人たちの多いことだ。・・・
(全文はこちら)
三輪 睿太郎さん 『原発事故から10年、飯舘村の再生』
大日本農会『農業』令和3年5月号巻頭言
・・・今日は東日本大震災発生から10年後ということでテレビでは特集が盛んに放映されている。当時のことを思い起こしながら・・・
(全文はこちら)
北村 充成さん
・・・私は声をかけてもらって、新宿の大学の教室で開かれた「第2回ふくしま再生の会報告会」にでた。飯舘村から菅野さんご夫婦が出席され・・・
(全文はこちら)
朝日新聞 書評
2021年1月30日 好書好日
・・・自然との関わり方を誤ると、手ひどい報復を受ける。野生動物が起源のウイルスも同様だ。・・・
(全文はこちら)
週刊東洋経済
2021年3月13日 話題の本 著者に聞く
(インタビュー記事はこちら)
オリジナルはこちらから
飯舘村アートプロジェクト村内視察レポート1
北川フラム氏とアーティストとの飯舘村視察会レポート
飯舘村のアートプロジェクトの立ち上げがはじ まった。5/19 全国より北川フラムさんが率いる 総勢 19 名が福島駅に到着し田尾さんがナビ ゲートするマイクロバスで飯舘村へ向かった。
最初にバスを止めたのは佐須峠の中腹、 田尾さんが飯舘村の被災状況、高圧電線がこの目の前を東京のために通過する話を語り、飯舘村は景観こそ価値がありそれを守りたいと話し視察ツアーがスタートした。フラムさんは人の話を傾聴するとき下を向く姿が印象的だ。
見えない放射能汚染。しかし美しい村を無言で眺めるアーティスト達。
11:30 氣まぐれ茶屋ちえこ、事故後8年を経てようやく今年5⽉に営業再開。店でランチをとる。
村の若手村会議員佐藤健太さん、牧場を再開し 始めた山田豊さんも合流。本プロジェクトへの意気込みが伺える。東京大学溝口先生とふくしま再生の会二宮さんは今後の連携を考がえランチに参加した。
ふくしま再生の会飯舘事務所(滑)へ移動。 菅野宗夫さんがアートの力で村おこしをと挨拶する。ここでもフラムさんしっかり傾聴される。
水と木の神様であった草野神社が明治三年に綿津見神社と改名したと話す宮司の多田さん。飯舘村の歴史に詳しい。
車窓から、フレコンバッグの山々を見て、飯舘村の現状を知るアーティスト達。
飯舘村役場に設置された放射線計測器の前で、放射線量が下がったことを説明する田尾さん。
村で唯一の帰還困難区域の入口、長泥ゲートで放射線量をはかる。訪問を歓迎しないガードマンが、ラジオを大音量で鳴らし、そこは私有地だから入るなと威嚇する。アーティストは、特別な場所であることを体感する。
村を巡った後、佐須公民館で、村民/アーティスト座談会がはじまった。佐須行政区長の菅野宗夫さんが、自然の恵みがある地区が被害を被った。そして、自然の恵みがあるから都会があるという挨拶を口火に、ぽつりぽつりと話が交わされ始めた。
北川フラムさんは、田尾さんとのめぐり合わせがあり、2年前から飯舘村をアートの力で再生できないかと話してきたという。昨年は、バスを仕立て一泊二日で大地の芸術祭(新潟越後妻有)を飯舘村の関係者と見てもらった。今回は5人程度のアーティストが集まればいいと思っていたが、作家をはじめ、事務局を手伝いたい人など 15人を超える人が集まり感謝している。本日の飯舘村見聞後 6月には、アーティストに集まってもらい今後の進め方を話し合える機会を開くと述べた。
北川氏は、つづけて東日本大震災に関することを語りはじめた。瀬戸内芸術祭の流れで石巻市を手伝うことになったという。 国や行政は、津波で家族や身内を亡くした人をまとめて支援しようとする。一人ひとり想いが異なる。アーティストも一人ひとりに寄り添うようなことができなければ、被災した人の心は癒やされないと。
石巻や新潟の大地の芸術祭のつながりで複数のサポート活動を行って来た。たとえば柏崎刈羽原子力発電所では、震災の後、東京電力の末端労働者の子弟達が、表には出ることがない凄まじいイジメを受けている。彼らを救済する活動を行っていたという。
また、津波の爪痕を残そうとする学校保存の活動は難航している。多くの児童が亡くなった大川小学校と対象的な門脇小学校、複雑な親の心境がある中で合意形成を取ることは極めて難しいと語る。 石巻の海岸地区では、津波で多くの命を落としたが、やはり海と生きてくという彼らに、瀬戸内芸術祭で基調とする海との関わりを話した。 アートの力で人に生きる勇気を与えていることが垣間見えた。
田尾さんはアーティストに語る。 ふくしま再生の活動も、何かをやるとあらかじめ決めて進めて来たわけではない。支援者という立場でもなく、現地で、協働して、継続して活動するという原則を決めているだけだ。換言すれば、やりたい人がやるというこの指止まれ方式である。チームがたくさんできてしまうが、会員が 300人を下回らず増える状態にある。 いつも何をやろうかとみんなが考えて進んでいると、ふくしま再生の会の進め方を説明した。
村の若手村会議員の佐藤健太さん。原発事故で一気に課題が表面化したが、日本には同じ課題を持った地区も多いはず。ただ、自ら動いていかないと村は終わってしまう。商工会青年部も積極的に本プロジェクトに関わっていきたいと話した。
松塚の畜産業の跡取り 山田豊さんは、昨年 大地の芸術祭の視察に同行した。妻有という厳しいところでも輝く笑顔で働くお母さん達を見て感動した。この村でも少しの可能性があるのなら積極的に協力したいと述べた。
小林美恵子さんは、若いアーティストに向かっ て、飯舘村に来るのに不安はなかったのと尋ねる。私もがんばろうと思うけど怖い話を聞くとしょんぼんりとする。だから、再生の会の人とかみなさんと合流し勉強したいと思ってここに来たと笑顔で話す。
作家、開発好明さんは、3月11日以降仮設住宅などで暮らされている様々世代の方々の食べ物や、遊びなどの昔話をお聞きし、青森から福島にかけての湾岸地域の言葉の変化、方言を記録しそれをマップ上で誰でも閲覧できる図書館を後世に残すプロジェクトを進めている。
cotobakaihatsu
彼は、福島の人から、石巻市などにボランティアが多く入るが福島にも来てほしいとい言われたことがあり、その後意識して、福島にフォーカ スしているという。震災による津波で被災した街とは異なり外見的にはなんの被害もないこの地 が 6 年間も全村避難したことは重い。 すでに飯舘村に入り活動をはじめられているが、今回もなにか関わりたいと話した。
多摩美術大学の日本画教授でもある岡村桂三郎氏は、埼玉でお米も作っている。最近、特にイノシシの被害で困っている。飯舘村は人と自然のバランスが素晴らしいと思う。けど、飯舘村にはやはり構えて入村した。放射能という見えない不安があったからだが線量計を貸出してもらって不安解消につながった。なにか力になりたい。
村民側からもアーティストに向かってそれぞれ のメッセージを送った。(詳細後報)
菅野永徳さん、佐藤公一さん、菅野啓一さん
埼玉県立鴻巣高校 福島復興支援ボランティア
2017年7月23~24日、埼玉県立鴻巣高校の1~3年有志24人と先生2人によるボランティアツアーのみなさんが飯舘にやってきました。再生の会にとっては初めての高校生ツアー。飯舘村で何を見て、何を感じたのでしょうか。とても立派な報告集をいただきましたので、ぜひご覧ください。
<行程>
1日目:
学校出発
飯舘事務所にて宗夫さんのお話し、溝口先生の講義
村内視察
紅彩館にて宗夫さん・田尾さんとお話会
体験・感想等記録
2日目:
紅彩館出発
飯舘事務所にて資料学習・寄せ書きタイム
宗夫さん田んぼの周りにコスモスを移植
紅彩館で入浴休憩して学校へ戻る
生徒さんの感想より<報告集全文はこちら>
- 震災が日本で起きたのは紛れもない事実であるということです。報道で目にするものはあくまで情報であり、そこに隠された真実を実際に見ることはできません。
- 福島県に着いて一番初めに渡された線量計。それをつけたときにこの村には本当に放射能がいまだに残っているんだなと実感しました。
- 向日葵は景観を良くするため、農地を維持するためにたくさん植えられていて、私達が行ったときは雨で下を向いていましたが晴れたらキレイなんだなと思いました。
- バスの移動中では、多くの家を見たのですが、家はきれいなのに人が住んでいないと聞いて、寂しい気持ちになりました。
- 自分たちの地域は自分たちでつくるという飯舘村はとてもすごいと思います。被災した土地を利用し花などを植え景観を良くしていました。
- 牛が飼われていたはずの牛舎には何もなくて、使われていない学校があって、きっと一年生だった子は、この学校で卒業することができなくて、戻れないまま今、中学二年生になっているのかなと思い、胸が苦しくなりました。
- 実際に自分の目で見た現実や、お話により飯舘村への不安が除かれました。放射線量は基準よりも低く、自分の勝手な「福島」のイメージがなくなった気がします。
- 原発による福島の被害は、テレビのニュースや新聞などで目にしていました。しかし、それだけでした。今回のボランティアで福島に実際に行き、現地の方々の話や気持ちを聞き、この目で福島の現状を見たとき、はじめて実感しました。
- 去年、福島復興支援ボランティアに参加しました。その時、福島の方達はとても温かく、自然豊かで食べ物も空気もおいしくて素敵な場所だと改めて感じました。なので、今年も福島復興支援ボランティアに参加して何か少しでも力になれたらいいなと思い行きました。
- 体験した中で一番驚いた時は、放射線を線量計で測った時でした。バスの中での数値はとても低かったのに、帰還困難地域で通行制限されていた柵の前で測ってみると数値が上がっていくのには驚きました。
- 今回のこのボランティアを通して福島のよさ、震災の被害を受けた地域の人達がみんなに伝えたい気持ちなどを知ることができました。 福島は、とても空気がきれいで自然が多くてすごく良いところだと思いました。自然が多いことがとても印象的でした。
- 飯舘村に近づくにつれて、バスの窓からは緑が多くて自然豊かな田園風景になりました。飯舘は本当に被害を受けたのかと疑うぐらい自然豊かなすばらしい町でした。
- ボランティアに行ってみて自分が想像していた事以上にひどい状況で、まだまだ復興していないことに悲しくなりました。 もう六年も時間が経っているのにフレコンバックの山が村の中に大量にあって驚きました。
- 飯舘村は、3.11 の地震や津波の被害は大きくはなく、本来であればすぐにでも避難場所から戻ってくることができたはずで、復興に向けて大きく進捗していたはずかと思います。
- 震災から六年が経った今、福島県は少しずつ活気が戻っているように見えました。福島県産の米や野菜、果物はおいしく安全に食べることができます。しかし、実際に福島県を訪れると厳しい現実を見ることとなりました。
- 放射線が多く未だに許可が無いと入れない場所がありました。被害の影響で移住せざるを得ない人たちがいて、その方々はとても辛い思いをして移住したと考えると胸が痛みました。
- 一番印象に残っているのがフレコンバックです。フレコンバックの中には放射能のかかった土が入っていて山のように置いてあります。
- バスの中で見た飯館村は、車はあまり走っていない、家はあるけど人が住んでいる感じがしないような家がありました。事前学習で勉強したフレコンバックも写真で見た時よりも色んな場所にたくさんつまれていました。
- 今回一番驚き、知識不足と感じたことは、放射能は土に溜まるということでした。私は土ではなく空気だと勘違いしていました。まだまだ、自分は勉強不足だと思ったけれど私のほかにも同じような勘違いや決めつけをしている人も少なくないと思います。
- 七年前ととても変わってしまった風景を目にして驚きました。テレビで見ていたものとあまりにかけ離れていたからです。やはり自分の目で見て物事を考えることは大切なんだということも学ぶことができました。
- 僕が福島に行ってまず思ったことは今の自分の生活に感謝しなければいけないと思いました。そしてもっと被災地を応援し一日でも早く元の福島にもどしたいと思いました。
- あれから 6 年が経ち、正直落ち着いたと思っていました。しかし、実際に現地に行ってみると、そこには大量のフレコンバックの山や、人や牛のいない牧場、人の住んでいない民家などがたくさんあり、そこだけ時が止まっているみたいでした。
- 自分の考えの甘さや様々な事を学ぶことができました。また原発事故による町、村の人の複雑な気持ち、怒りや呆れなど色々考えることができました。そして自分がどれだけ幸せな思いをして今まで生きてきたのかを知ることができました。
- 飯舘村への居住が出来るようになったものの、六年という月日の間に元村民の方々も村外の生活に慣れ、村へ戻って来たらまた新しい生活になるため、戻ってこない人が多いと聞きました。
SGRA(第6回)ふくしまスタディツアー
2017年9月15日~17日、10か国の留学生の方を中心としたSGRAふくしまスタディツアー16名のみなさんが飯舘を訪れました。
参加者のレポートがSGRAホームページに掲載されましたのでご紹介します。
「飯舘村復興の現状と課題ー第6回SGRAふくしまスタディツアー報告」ジャクファル・イドルス
2017年9月15日(金)の早朝、北海道の上空を北朝鮮から発射されたICBM(ミサイル)が通過することを知らせる不気味な警報音が日本列島に響きわたった。その直後、私たちSGRAのメンバー16名は東京駅から新幹線で福島の飯舘村に向けて出発した。<全文はこちら>
「決して忘れてはならない福島の『原発被害』」李鋼哲
今回のSGRA福島スタディツアーは第6回であったが、私は5回も参加した(2回目は大学の講義と重なったため参加できなかった)。第1回は福島原発事故の翌年、2012年10月19~21日であった。
なぜ、私は5回も参加したのか?それも東京と違って500キロ以上離れた金沢から。まだ金沢―東京の北陸新幹線(2年前に開通)もない時から、5、6時間以上をかけて福島へ行ったのか。<全文はこちら>
「遠く険しい復興への道」リンジー・モリソン
2017年9月15日~17日、SGRAふくしまスタディツアーに参加し、今年の3月に避難指示解除が下りたのちの飯舘村の様子を観察してきた。私にとって2度目の参加で、約1年半ぶりの訪問であった。天気がよく、コスモスやススキが風にたなびく美しい飯舘村の秋の景色は、復興の兆しを見せ始めていた。<全文はこちら>
「飯舘村の展望:第6回SGRAふくしまスタディツアーに参加して」ジョセフ・アンペドゥ・オフォス
原発の問題点、課題は無数にあり、複雑かつ微妙にからみあっています。政府、科学者、産業界、そして一般社会がオープンで誠実な、そして協調的なやりとりをしてはじめてバランスのとれた共通の理解が得られるのです。また、こうしたやりとりには偏見があってはならないし、これに参加する各組織、各人の納得が得られるような前向きなものでなければなりません。<全文はこちら>
ツアーの行程は活動記録をご覧ください。
サークルまでい飯舘ツアー
2017年9月11~12日、サークルまでいの仲間たち22名で飯舘村をバスで訪問しました。サークルまでいは東大農学部で土壌、野菜、稲など飯舘村で採取されたサンプルを、測定器にかけられるように専用容器に詰めたり、計量したり、測定結果をデータベースに登録するといった作業を毎週続けています。メンバーには、現地に行きたいが週末に足を運ぶことがなかなか叶わない方もいます。今回はそうした仲間の思いをかなえるとともに、避難指示解除後の飯舘村の姿とサンプル採取の現場を知ることを目的として企画されました。
9月11日(月)
8:30東大農学部3号館前から出発。東北自動車道を北上し、大谷PA,安達太良SAで休憩、昼食購入。都内渋滞等で遅れたため、飯舘事務所に寄らず村役場直行に変更。宗夫さん、田尾さんとオープン間もない道の駅までい館で合流。
14:00村役場に到着。復興対策課農政係杉岡係長より、飯舘村の復興に向けた取り組みの現状、営農再開ビジョンについて説明を受け、質疑。その後、役場玄関近くの村歌の石碑を見て、隣のいちばん館で非破壊簡易放射能測定器を実施見学。いいたてホーム、新しい小中学校を見つつ、今なお帰宅困難区域である長泥地区のバリケード前で下車。車内での説明をききながら比曽、飯樋を回った。
17:30川俣町の旧小島小学校を改造したおじまふるさと交流館に到着。食堂で夕食後、懇親会。
第一部 宗夫さんから、帰村と新しい村づくり/何を目指すのかの説明、田尾さんの補足説明を受ける、第二部では参加者の自己紹介、フリートークを行った。
9月12日(火)
8:30 おじまふるさと交流館出発し佐須へ向かう。
9:30 ふくしま再生の会飯舘事務所着。
ハウス、田圃などサンプル採取場所見学。宗夫さん、田尾さん指導による土壌採取、稲採取の実習と見学。
10:30 出発。佐須公民館、旧佐須小学校校舎を見学。ハウスで作業をしていた菅野永徳さんにも来ていただき、小学校の歴史の話をうかがう。
11:00 山津見神社にお参り。禰宜さんの案内で、オオカミ天井絵を見学。
11:40 前田の田園風景を横目に、村民の森あいの沢であいの句碑、蓮の咲く池、温泉場、宿泊体験館きこりを眺め、道の駅までい館にてお弁当を受け取る。
12:50 小宮マキバノハナゾノに到着。上の畑で球根を植えていた大久保金一さんの話を伺って一緒に昼食。下の水芭蕉畑ではゼオライトを播いていた。
14:00 現地出発。宗夫さん、田尾さんと別れて、南相馬ICから常磐自動車道へ。四倉PA,友部SAで休憩。車中では、サークルまでいの活動、村からの受託事業である全村田んぼ土壌採取、測定等について説明、質疑。首都高八潮PAで休憩。
19:20 農学部到着、解散。採取してきた30cm土壌サンプルをサークル室へ持って行き、無事に終了。
参加者の感想はこちら(PDF)
JISSスタディツアー報告
2017年6月17~18日、1年間の留学を間近に控えたJISSの学生8名が飯舘村を訪れました。
【1日目】
*宗夫さんより「飯舘村について」「事故から現在まで 」などのお話し
*村内視察:山津見神社~比曽(啓一さん宅イグネ)~長泥バリケード~飯樋小学校~村役場
~高橋日出夫さんハウス~山田猛史さん牧場+佐藤聡太さんのお話し
*千恵子さんより「飯舘村での暮らしと今」などのお話し
【2日目】
*点滴栽培ハウス見学(ハウスチーム野々垣さんより)
*田んぼ電気柵設置作業
*村内視察:燃焼実験炉~小宮マキバノハナゾノ(大久保金一さん)~測定専用車車庫
*宗夫さんからみなさんへの期待
わずかな時間で理解することはとうてい叶いませんが、見たまま、感じたままを伝えてもらえればと期待しています。
参加者の感想はこちら。
「JISS第3回スタディツアー参加レポート」
再生の会リーフレットができました
ふくしま再生の会の全体像を、できるだけ簡単に知っていただくためにリーフレットを作成しました。一人でも多くの方が現実の姿を見たり、活動に参加したりするきっかけ作りに役立てていきたいと考えています。
PDFファイルはこちら
実物はA3両面印刷6つ折りで、定型長3サイズの封筒に入るようになっています。
「知人・友人に配りたい」という方は事務局までご希望の部数をお知らせください。ご自宅等へ郵送いたします。
(当ページ下のアドレスまでメールしてください)
東京大学大学院IHSプログラム田尾陽一講演報告
2016年6月24日、東京大学大学院博士課程のIHSプログラムにおいて、当会理事長の田尾陽一の講演「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」が行われました。参加した西村啓吾さんの報告です。
※この記事は、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」のイベント報告に掲載されているものです。オリジナルは以下をご覧ください。
田尾陽一氏講演会「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」報告
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
2016年6月24日(金)にNPO法人「ふくしま再生の会」理事長を務める田尾陽一氏より「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」と題したご講義をいただいた。講義においては、まず、「ふくしま再生の会」の発足とこれまでの活動についてお話をいただき、最後に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を発端とする福島で起こった一連の問題について田尾氏のお考えをお話しいただいた。
「ふくしま再生の会」は2011年に「新しい公共空間の創造」を目指す「自立して思考する諸個人」が集まり、「現地で/継続して/(村民と)協働して/事実を基にして」「ふくしま・飯館村の生活・産業の再生」を行うことを目的として設立された認定NPO法人である。福島第一原子力発電所の事故は明確な人災であり、発電所は事故を収束させ村民が安心して帰村し農業を営むことができるように施策を打つべきであるという認識を持って、避難中の留守宅や農地・山林を使って独自に調査と実験を行い、得られたデータを地域再生のために村民・社会・行政へ提供し提言を行うことを村民らと合意し活動を行ってきた。研究機関や企業と比べれば規模は小さいものの、目的に共感した250名超の個人会員と6つの団体会員が各分野・業界から集まり、福島の動向をつかむのに有用で豊富な調査結果を得ることができているように報告者には思えた。
講義において報告者が注目したのは、福島の現状に対する国外の反応と国内の反応の差異に関してである。「ふくしま再生の会」は震災・事故後の福島の様子を世界へ伝える活動として、2012年および2013年にSGRAスタディ・ツアー「飯館村へ行ってみよう」という飯館村の被災区域の訪問と村民との懇談を行うツアーを企画し、これにはアジア・ヨーロッパ・アメリカなど世界各国から参加者が集まった。そこでの参加者らの反応は非常に良好だったようであり、おそらく福島の現状に対して客観的な認識を持つことができるようになったのではないかと思われる。
では、それに対し、日本国内においての人々の福島問題に対する認識はどうであろうか。地震そのものによる被害・原発事故の発生による周辺地域の放射性物質による汚染とそれに伴う避難措置、除染による農地の不作化や農地利用の禁止措置による離農といった被害も甚大なものであるが、それと同時に、放射性物質をめぐるマスコミやSNSを通じた風評被害による農作物の売れ行き減少といった問題も生じている。現在では、福島県産の農作物の安全性が各所で示されており、科学的な根拠のある膨大な調査結果が積みあがっているにもかかわらず、それらの情報を信用できず福島県産の農作物を買わないという選択をする人々も未だに多く存在するように感じる。こうした現状は、人々の科学に対する不信や政治に対する不信が原因となっていることは否めないように感じられる。
同じ福島県内においてすら、甚大な被害を被った一部の被災地域とその他の地域との間では認識に隔たりがあるということも講義で学んだ。
報告者はこうした問題に対し、自分には現在そして将来的に何ができるのだろうか、どのように関わることができるのだろうかという疑問へのヒントを得たいと思い、講義の最後に質問をした。専門的な科学を学んでいる立場から、科学者には福島県産の農作物の安全性等に関する証明が人々の意識の中に浸透されるよう発信することが求められており、報告者には未熟ながらもバックグラウンドを活かしてその手伝いができるのではないか、そしてそれが報告者の立場を最大限に活かすことができる福島への関わり方ではないかという考えから、「人々に伝えるときにどのようにして説得力を持たせようと考えているのですか。」という質問をした。大学時代に素粒子物理学を専攻したという田尾氏も報告者のような考えでそのバックグラウンドを活かした活動をしようとしているのではないかと思っていたが、田尾氏の答えは予想に反して「説得なんてしない。」というものであった。
初めは報告者の質問の仕方が悪く、意図した“福島への理解が進んでいない福島の外の人々への説得力”ではなく、“被災した福島の人々への説得力”をどう高めるかという意味で伝わってしまい勘違いが生じたのかと考えた。確かに、被災した人々に対しては説得などではなく個人対個人の信頼関係が重要で、田尾氏がしてきたようにそのコミュニティの中に溶け込んで同じ側に立ち、協働して活動していくことが求められていたのであろうとは思う。しかし、福島の農作物の安全性といった情報を社会・世界・一般大衆に対して発信するという場合、情報の信頼性はそれを発信する機関や携わる人間の信頼度に左右され、その指標として機関のそれまでの功績や構成員のバックグラウンドが大きな意味を持つのではないだろうか。そして、発信した情報が人々に信頼されないことで、意識を変えるといった影響を与えることができなければ、時間をかけて集めてきた研究調査の結果が十分に活かされなくなってしまいもったいないのではないかと報告者は考えた。
講義内では上記のような答えにまでしかたどり着くことはできず、納得できる答えを得ることはできなかったが、田尾氏のお言葉の意味を再考し見えてきたものがあった。それは、助けを求める人々が真に望んでいるものは何かという視点である。飯舘村の村民の方々が望んでいることは、福島の安全の科学的立証なのだろうか、協働することそれ自体だけで十分に力になれるのかもしれない。報告者には想像できていないようなことがまだまだたくさんあるのだろうと浅薄ながら想像された。
報告者は体の機能が弱くなってしまったり、一部を欠損してしまったりしたことで望む人生を生きることが困難な人々が世界にたくさんいることを知り、そういった人々を救いたいという思いを持って再生医工学研究に取り組んでいる。報告者には身近にも病気を抱える人がいるため、そういった人に求められているかどうかを意識しながら研究に取り組むことができるが、そうした意識を忘れてしまうことも多い。救うことができるのは不特定の人々ではなく一人の人間である誰かなのであり、その誰かの声に耳を傾けなければ独りよがりの研究になってしまう、講義を通じてそうした大切なことまで学ぶことができたのではないかと感じている。
「飯舘村の放射線・放射能の測り方」パンフレットを作成しました
ふくしま再生の会では、飯舘村の方をはじめ、大学や研究機関と協働して放射能や放射線の測定を続けてきました。こうした測定が、どのように行われているのかを知っていただくためのパンフレットを作成しました。
構成はこのようになっています(クリックすると見開きイメージが見られます)
1.道路を走りながら測定する
2.家の中と周辺を測定する
3.田んぼを測定する
4.農作物を測定する
5.山林を測定する
6.野生の動植物を測定する
7.放射能を分析する
8.次のステップへのガイド
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本文(前半)
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