活動報告

東京大学大学院IHSプログラム福島研修報告

カテゴリ: 報告日:2016/04/11 報告者:SanoTakaaki

2016年2月23~24日、東京大学大学院博士課程のIHSプログラムの活動として福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」が実施されました。参加された中村彩さんの報告です。

※この記事は、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」のイベント報告に掲載されているものです。オリジナルは以下をご覧ください。
福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」報告

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2016年2月23~24日、IHSプログラム・プロジェクト2の活動の枠内で福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」が実施された。以下はその報告である。

研修は23日朝、東京から福島に向かう新幹線で、NPO「ふくしま再生の会」理事長の田尾陽一氏にお話を伺うところから始まった。飯舘村は福島県相 馬郡にある豊かな自然に恵まれ、寒暖の差を利用した稲作のほか畜産などの農業が盛んな村だった。浜通りにあるとはいえ海に面しているわけではなく、隣の南 相馬などと比べると地震による被害は少ない方だったものの、福島第一原発の北西に位置しており、放射能による被害は深刻だという。しかも原発から20キロ 圏内の地域が事故直後から避難区域に指定されたのに対し、飯舘での線量の高さは震災直後には明らかにされておらず、村の一部に屋内退避の指示が出ているだ けだった。そのため村民は避難してくる人々を受け入れる側にまわったが、その飯舘村が震災から1か月後、4月になってから計画的避難区域に指定されること となった。そのような経緯もあり村民は当初から多くの困難に見舞われた、とのことであった。今回の研修でご案内いただいた田尾氏はそういった状況のなか、 地元の方々と協同して継続的に生活と産業の再生をめざすために「ふくしま再生の会」を立ち上げ、放射線のモニタリング、除染や農業再生のための実験などを 続けている。

福島に着いて最初に訪れたのは、今でも100世帯以上の方々が集まって暮らしている福島市の松川第一仮設住宅である。震災から5年が経つ今、仮設住 宅で生活する方々が直面している様々な課題について、木幡一郎自治会長らに伺った。国は来年3月には帰村できるようにすると宣言しているが、今の状況でそ れが可能なのか疑問に思っているということ、宅地や田んぼの除染は進んでも山林を除染するのは難しいため大きな問題となっているということ、そして農業を やることができなければ職がないので経済的な不安もあることなど、様々な課題が挙げられた。最近実施された村民へのアンケート調査によれば、飯舘に帰れる ようになったら帰りたいと答えたのは全体の3分の1程度であったという。お年寄りだけではなく若い人をも呼び込んで帰村を実現するには、帰村のビジョンを 提示し誰かがロールモデルとしてそれを実践することが不可欠であり、それを行うための資金・支援が必要だとのことであった。また、最初からずっと飯舘に住 むつもりで帰村するのではなく、数年の帰村準備期間を設けたほうがいいと考えている、とのことであった。



その後、飯舘村へ移動し、元村議会議員で飯舘に将来戻るべく自宅のリフォーム等の準備を進めている菅野義人氏の家を訪れた。菅野氏の話によれば、農村では、用水路を引く、農道を作る、草を刈る、といった作業を村民が協同して行い生活していくことが不可欠だが、それを今後どうしていくのかという本質的な事柄がほとんど議論されないままになってしまっている。国は宅地だけ除染して避難指示を解除すればいい、という態度を示しているが、それでは復興はできない。また村の政治という観点からすると、今は村の収入がほとんどなく国からの資金でまかなっているが、現場の裁量で使えるお金はほぼない状況だという。縦割り行政で復興政策での住民参加はなく、地方議会では条例は施行できても立法はできないため、どうしても限界がある。菅野氏はこのように多角的に問題を検討して話してくださった。

続いて視察させていただいたのは、飯舘で唯一の帰宅困難区域である長泥地区の入口や、一部だけ機能している飯舘村の村役場のほか、村内各地で進められている「再生の会」の数々の取り組みである。農家の菅野啓一氏と協力して居久根林の汚染された木で小屋を建てて行っている実験の現場、村民が空いた時間に走らせて線量測定に協力することのできる放射線測定車、そして菅野宗夫氏の自宅で行われているスマート農業の試験栽培の様子などを見せていただいた。いずれも飯舘の農業が置かれている逆境をチャンスに変えるための革新的な取り組みであり、村の人々と外部の人々が協力すればその創意工夫と努力によってできることはまだまだたくさんある、と思わせるものばかりであった。




この日最後に訪れたのは、飯舘電力などのオフィスが入っている福島市の再生エネルギービルである。このビルには飯舘電力のほかに、ふくしま再生の会、会津電力、いいたてまでいの会など11の団体が入っており、互いに交流・協力しながら運営している。そこでは飯舘電力の小林稔社長と専務の千葉訓道氏、「山のこだわりや」であり農家の菅野宗夫氏にお会いし、飯舘の自然エネルギー事業等について伺った。

そして翌24日は、ご自身も福島のご出身である前東北大准教授の松谷基和先生の案内で、福島市に近い温泉町である土湯を訪問した。そこで地熱・小水力発電事業を行う元気アップつちゆ・つちゆ温泉エナジー株式会社・つちゆ清流エナジー株式会社の加藤勝一社長、鈴木和広主任に、土湯で発電事業が生まれるまでの経緯について話を伺うとともに、実際に発電所を見せていただいた。期待を上回る発電量を誇るという発電事業自体もすばらしいが、同時にそれを実現した方々の熱い思いとエネルギーには心を動かし人を動かす力がある、ということを感じさせられる視察であった。

震災とそれにともなう原発事故から5年を経た福島を訪れて、今の状況の問題の大きさ、課題の多さに圧倒されたり怒りを感じたりする部分もあった。飯舘村が「日本で最も美しい村連合」に加入していた村であることからもわかるように、飯舘の人々は本当に美しく豊かな自然とともに生きてきたのだと思う。その生活を奪う権利は誰にもなかったはずだが、今では村民はそこに住むことを禁じられ、代わりに汚染土を詰めた黒いフレコンバッグの山が行き場もなくいたるところにピラミッドのように積み上げられている。

そして飯舘の方々は、帰村するかしないかということのみならず、何を食べるか、子供をどの学校に行かせるかなど、今の生活のあらゆる場面で難しい選択を迫られ分断される状況に置かれている。飯舘はもともと住民が積極的に参加して自治をして運営していた村で、様々な先進的でユニークな取り組みがなされている村だったとのことだが 、事故後は国の「直轄地」とされており村の裁量でできることは非常に少ないという。そのこともあって十分に住民が議論し参加していくような政治が行われなくなってしまったということは、非常に残念に思われる。

また放射能はとりわけ若い人や子供が村に帰りづらくなる要因になっているということも改めて実感した。県外の人がボランティアや研修で飯舘に行くことに関して家族や周りの人に反対されることもあるらしく、特に印象に残っているのは、私自身が今回飯舘に来ることに関してためらいはなかったのか、ということを聞かれたことである。私としては、今の飯舘の線量で短期間の訪問であれば低いレベルの被曝であることは「再生の会」のモニタリング情報等から確認できたし、研修に参加することの方が重要だと思われた。(実際の訪問の際も積算線量計を貸していただいたが、東京にいるのとほとんど変わらない線量だった。)しかしそのことを聞かれて、やはり村の人々はそれを一番に気にしているし、それが常につきまとう問題であるということを実感した。

今回聞いた話によれば、通常、たとえば医療や科学的実験などに用いる放射性物質は厳しい管理のもとに置かれるが、福島の放射能に関して国は「環境放射能」であるから法的管理の対象にならない、と主張しているとのことであった。管理することにより継続的に福島の住民を支援しなければならないはずだが、国の復興政策はその点では明らかに不十分であるように思われる。このこと自体には怒りを覚えるし、5年が経ってなおこの状況であるということは絶望を抱かせもする。しかし一方で今回視察させていただいた様々な取り組み、そしてお会いした方々の、福島の再生は可能だと信じる力には希望を感じた。5年というのは大きな節目ではあるもののそれにとらわれず、自分に何ができるか、これからも継続的に考えていきたい。

報告日:2016年3月13日
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