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株式会社知識計画内
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若者の力、シニアの経験を世界の被災地「ふくしま」へ
今回の作業目標は、「土壌サンプルの採取」と「温度計の設置」です。
●土壌サンプルの採取
土壌サンプルは、深さ別にスライスして放射能測定をしたいので、柱状の形で掘り出せるのがいいのですが、これがなかなか難しい。特に地表から数センチメートルは凍っていますので、非常に硬く掘りにくいのです。
この作業のためにメンバーが探してきたのが、「アナクール」という農機具です。これを凍土に打ち込んでぐりぐりと回して円柱状の土壌を抜き出します。この器具によって、かなり効率的になったのですが、わきのエッジに「歯」がないので、まわしにくいというところが不満。さらに効率的にきれいなサンプルが採取できる器具を追求中です。
●温度計の設置
土壌サンプルを採取するとともに、その付近の温度測定を行うために、温度計の設置も行っています。
杭の地上50cmほどのところに気温を測る温度計を設置、地中5cmほどのところに地中の温度を測る温度計を差し込み、そのそばには例の凍結深度測定器を埋めます。杭につけられたデータロガーは温度データを1時間に1回保存します。1年分のデータも保存できますので、ときどきデータを回収にくればよいという仕組みです。
このセットを村内の20か所に設置します。
土壌サンプルと温度計のセットで、各地区の深度別土壌放射能測定、土壌の分析、気温と土中温度の推移測定などができますので、これを今後の農地除染の基礎資料とします。
●さらに土壌測定
飯館村は大変広く、放射能汚染の度合いも地域によって大きく異なります。私たちが除染を試みている左須地区の場合はおおむね3μSv/h近くですが、南端には10μSv/h以上の高汚染地域があります。そういう地区の住民は、もう帰ることもできないだろうとの思いが強いと察します。
しかし、私たちの調査によれば、高汚染地区であっても、セシウムの大半はいまだ土壌の表面から5cmほどの深さに留まっていると予想出来ます。それを証明するために、先月からあらゆる地区の畑の深さと放射能の関係を調べて行く作業を始めました。
各地域の畑に穴掘り機を刺して引き出し、表面から2cmごとの土をはぎ取り、袋詰めします。それを、測定用のプラスチックの容器に詰めて、放射能測定をします。
畑での作業は、単純そうですが、結構きつい仕事です。まず、雪をかきわけて、地面を出しそこに穴掘り機を刺すのですが、この時期は土が凍っていて、カチカチになっている場所も多いので、土の中になかなか刺さりません。脇に出てる翼に飛び乗ったり、槌で叩いたりして苦労することも多々あります。
引き出すときに、土がこぼれてしまうとやり直しですが、一回ごとに前回の放射能付着を除くために、機器に着いている泥を綺麗に落とさないといけないので、その手間が大変です。
引き出したら、その場で直ぐにメジャーで、2cmずつ測りとって袋に入れます。この一群の作業を、寒風吹き抜けるマイナス2~3度の畑で行うのは、正直きついです。凍ってカチカチの土は、切り取るのも手間かかりますが、崩れないので容器に詰めるのも手間です。
4~5人のチームで、11日の午後に6地区、12日の午前に4地区、午後に2地区を終えました。先月に8地区を終えていますので、全部で20地区やったことになります。
●長泥の文科省モニタリングポスト
帰りがけに、高汚染地区の長泥地区に置いてある文科省の放射線測定機による測定結果を貼りだしてある掲示板を見たら、計画的避難区域での昨年の3月から、今年の1月までの積算放射線量の一番大きい地区は、44.5mSvでした。年間にすると、53mSvと言ったところでしょうか。
また、この場所の放射線量は、ずっと10μSv/hと高かったのに、12月になってからは6μSv/hに下がっているのは、降雪による遮蔽効果のようです。
持ってきた測定機でこの場所の空間値を見たら、5.37μSv/hでした。
途中で見かけた、物々しい人たち。この地区の放射線量を測定している外国の報道関係者らしき人々でした。
●新しい宿とのうれしい出会い
国の除染の試みが始まって、受注した大手ゼネコンが作業員たちの宿を抑えてしまったので、私たちの宿が取りにくくなって困っていたら良い宿が見つかりました。都会で教師をしていた方が、退職後に故郷に戻り、青少年が利用することを目的とした宿舎を建てたのに、震災後に利用できず空いていたのを、好意で私たちを受け入れて下さいました。
新築の自前の木で作ったすてきな宿でした。
今回は、私のミクシでの友人夫婦とその知り合いの方が、応援に来て下さいましたが、地区を見回っているときに、対向車を避けて道の端に寄ったところ、雪に覆われていた側溝に落ちてしまうというアクシデント。お気の毒でした。
私は次回は、3月10、11日に行く予定です。
●アラコキ隊出発!
2月18日、10時30分、福島駅レンタカー前に集合したアラコキ(アラウンド・古希)5名と矢野さんは田尾さんと、若林さんの運転する車に分乗して冬晴れの道を飯舘へ向けて出発しました。
途中でBBC取材チーム4名と合流して、菅野宗夫さん宅に12時30分到着。既に到着していた東大農学部・溝口教授グループ、続いて到着したつくばの若手ループと共に、食事をしながらミーティング、午後の作業の分担を決め、以下の3グループに分かれて、13時30分から作業を開始しました。
●特定方向からの放射線を捉える試み
2.の特定方向線量の測定は、線量計を一定の方向に向けて測定、次に同じ方向で鉛の遮蔽を置いて測定。両者の比からその方向からの線量を推定するものです。
遮蔽の完全性や測定のばらつきという課題はあるものの、裏山の杉の辺りから来るものが他よりも大きいことがわかります。
16時30分ごろそれぞれ冷え切って帰り着いた全員が宗夫さんのコタツに再集合、千恵子さんのお団子を食べながら簡単な打ち合わせを済ませて、17時半、伊達市山戸田の「福島ふるさと体験スクール・やまとだ」(以下「やまとだ」)へ向かいました。
●ごはんおあずけで会議
18時ごろ到着した「やまとだ」では酒井さんご夫妻が暖炉で部屋を暖めポトフを煮て待っていてくださいました。しかし、美味しそうなポトフを横目に、まず午後の仕事のまとめと今後の方針について話し合いが始まりました。
溝口先生の画面によるわかりやすい説明を聞きながら、雪解け後の作業方針について話し合いました。要点をまとめると以下のようになります。
「1月の始めに凍っていた凍土をユンボを使って剥ぎ取り、1箇所に穴を掘ってまとめている。その上に非汚染土を入れるかまたは水を深く張る。セシウムは粘土に吸着している限り下へ(横へも?)抜けることは無いだろう。きれいな水が出ている間は大丈夫だが泥水が出たら注意を要する。(仮説[1])
また、凍土は春先に溶けてビチャビチャの状態になる。これを上の田から下の田へ流し、最後の田の一部を汚染土壌を溜める穴を掘る(面積として全体の5-10%)。これを上と同じように処理する。
途中の田は比較的汚染が少なく酒米が育成できるかもしれない(最上段の田を犠牲田にして水の管理を行うことも可能である)。
代掻きを行うことも考えられる。代掻きは表層15cm程度をかく乱して汚染部分を広く混ぜてしまうので、鉛直分布を調べて、表層に高濃度のセシウムが溜まっているところはこのまま凍土剥ぎ取りが有効だが、下層へ移行しているところは代掻きをした方がよいだろう。
今年の凍土作戦は春になると終わる。来年の秋までどうするかが課題である。未処理の田圃は水を深く張って雑草の除去、表面のでこぼこ調整などをやっておき、秋から再び凍土剥ぎ取り作戦を行えないか。
宗夫さんの意見:仮説[1]についてモデル実験はできないか、ハウスの中などで溶かしてまた凍らせることの出来る今がよいのではないか?
深度分布データによると、深さ15cm程度まで、セシウムが動いているところもある。そのような場所は代掻きを行うとよいだろう。」
議論は尽きなかったのですが、X線フィルムを使って土壌の鉛直分布を簡便に測定できないかと言う提案があって夕食になりました。
心づくしの美味しい夕食を頂き、溝口先生グループと野々垣さん、宗夫さんが帰宅され、すこしお酒も入って議論は遅くまで続きました。
「農地と森林除染の新たな試み」:溝口教授が提案する除染方法がまとめられた資料です。
●ふるさと体験スクール やまとだ
翌19日は7時半朝食、まだ寒いですが、1週間前と比べて雪が少なくなり着実に春が近づいていることが感じられました。
朝食後、酒井さんが母屋を見せて下さいました。
長年教職についておられた先生は定年後に、子供達に昔の農家の生活や体験をさせることを目的に手作りの「やまとだ」を作られたとのことです。それが、地震、津波はさほど影響がなかったものの、原発事故が発生。このあたりの放射能は比較的低いとは言え子供達を呼べなくなってしまったとうかがっていました。
随所に自然の材料を使って丹精を込めた手作りの施設を見せていただき、子供達に体験させられない無念さと、偶然にもゼネコンに宿を押さえられて困っていた私達がそれを分けていただいている幸運に複雑な感慨を持ちました。
●70歳の新米運転士
8時半「やまとだ」出発。9時には宗夫さん宅に到着。ミーティング後作業に入りました。
1.については70歳になって一念発起、この仕事のために先週ユンボの免許を取得した若林さんを中心に信号係の加藤さんが赤白の旗と笛を持って川村さんと作業が始まりました。
「コ」の字型に掘られた穴に積まれた凍土をユンボでの埋め立ては昼食を挟んで16時過ぎまで続きました。埋め立てによって高線量の分布は下に溜まったわけでもないようでした。
2.は午前中家の周りの測定とデータ整理の後、早い昼食を済ませて、前回表面からの移動が見られた「長泥」、最も南の地点「比曽」と再調査の「宮内」の3地点です。
菅野千恵子さんと一宮さんの車2台で出発。途中、紅葉や桜の名所を通り、美しい雪のスロープの牧場を見て、昔、分校へ通った道、遠足へ行った道など、千恵子さんのお話に、失ったものの大きさを実感しました。
長泥の空間線量は雪で少し減少したものの、文部科学省の装置のある交差点で10μS/hを示していました。
雪で埋まった岩部ダムを通って16時前に戻りました。
16時30分全員作業を終了して、ミーティング。
今回のまとめとして田尾さんによると「凍土剥ぎ取りと土壌調査を引き続きやった。凍土を入れる池を完成した。今後の除染作業について論じた。代掻きと凍土剥ぎ取りの今後1年については宗夫さんを含めて協議して早急にやり方をまとめる」とのことです。
17時30分、後片付けをしてそれぞれ帰路に付きました。
●想定外の大雪
今回の参加者は5名と少数でした。
柏発の大永号が常磐道から磐越道に入ると雪が降り始め、さらにしばらく走ると、小野の手前あたりから大渋滞。結局、降雪による通行止めのため小野で高速を降りて一般道で飯舘村を目指しました。
一般道に入ってからも雪は強くなるばかり。あちこちでスタックしたり側溝にはまっている自動車が散見されるという状態です。川俣から飯舘村へ入る坂道を上り始めたところで、またまた大渋滞。もう一台のメンバー車から電話が入り、何かと思えば「すぐ後ろにいます」とのこと。偶然、渋滞で2車が一緒になってしまったのでした。
この先、坂の上では何台もスタックしているのではないか、そもそもわれわれだって登れるかどうかわからない、という弱気の虫が鳴き始め、結局、本日は飯舘村へ向かうことをあきらめ、直接、伊達の「ふるさと体験スクール やまとだ」へ向かうことにしました。
そこで昼食は、坂を引き返してきて、あじせん楓亭で「川俣軍鶏」の親子丼。前から食べたかったのですが、幸か不幸か大雪のおかげで今回いただくことができました。
●GPSモニターの校正
昼食後、2台の車は分かれて、大永号は飯坂温泉の日帰り入浴コースへ向かい、もう一台は宿へ向かいながらGPSモニターの校正作業を行うということになりました。
GPSモニターは吉澤さんが開発した放射線モニターで、GPSを内蔵しており、線量とともに位置の情報を自動記録することができます。
従来は8台で運用してきましたが不足気味なので、「吉澤製作所」(実はもともと吉澤さんの趣味)に新規に10台を製造してもらうことにしました。そのうちの3台が出来上がってきたので、その校正作業を行いました。
●まだまだ土壌計測
翌日は、土壌サンプルの採取。すでに20か所のサンプルを集めましたが、それぞれの場所で複数回採取して測定することによって、土地ごとの特性が再現できるかどうかを確認します。
●「シニア測定隊」発足
放射線計測班を中心に、すごい勢いで土壌サンプルを採取しています。1か所のサンプル採取では、2cmきざみで16cmの深さまで土壌をサンプリングしますので、20か所だと20×8=160個の標本ができます。
現在、土壌採取は2クールめに入っていますので、今後は何百というサンプルについて放射能測定を行う必要があります。
地表から5cm程度までの標本は放射能が強いので、比較的短い時間で測定が完了します(一定数の放射線が検測されるまで測定しますので、放射能が強ければ早く終わる)。しかし、10cm以上の深さの土は放射能が弱く、測定には多くの時間が必要になります。
とても一人では対応できない量になってきましたので測定隊を募集したところ、宇野さん、伊井さんというシニア2人(技術者OB)が手を挙げていただき「シニア測定隊」が発足しました。
シニア測定隊は、次々と測定をこなしているところです。
70歳でユンボの免許を取得した若林さんといい、宇野さん、伊井さんといい、再生の会はシニアパワーで駆動されています。