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若者の力、シニアの経験を世界の被災地「ふくしま」へ
今回の任務は3つ。「Talk In:ふくしまの再生」「東北大学惑星圏飯舘観測所への放射線モニター設置」「GPSモニターの校正」です。
●Talk In:ふくしまの再生
3月3日には、昨年12月3日に行われた「Talk In:ふくしまの再生」の第2回めを開催しました。
今回も飯舘村の菅野宗夫さん宅、東京の工学院大学、京都の立命館大学をSkypeでつなぎ、海外(主にアジア各国)から日本に留学する学生、日本の学生とともに、原発事故によってもたらされた飯舘村の現状について討論するというイベントです。これを同時にUstreamで世界に向けて発信していこうという意図もあります。
東京、京都を合わせて30人あまりの学生たちに対して、第1回のときは飯舘村からは菅野宗夫さんと田尾さんの2人だけでしたが、今回は2人の他に、相馬市の大石ゆい子さん、菅野千恵子さん(宗夫さんの奥さん)、菅野永徳さん和子さんご夫妻、菅野太さん、ふるさと体験スクールの酒井徳行さん、そしてシンガポールのジャーナリストフー・チューウェイさんというメンバーが参加しました。
フーさんと田尾さんは前日に福島入りし、飯舘村から福島市に避難している方々をビデオ取材してありました。第一部として、福島市の松川第一仮設住宅を取材したビデオを流し、留学生たちに、避難生活の様子や、避難されている方々の意見などを見てもらいました。
そのあと、自己紹介を兼ねて飯舘村会場の一人ひとりが発言。その後、各会場の留学生からの発言へと続きました。
イラクからの留学生は、自身が戦争の際に難民になった経験をもとに、避難している方々の気持ちがよくわかる、希望を捨てずに頑張ってくださいと激励しました。
第二部は、冒頭に飯舘村から避難している子どもたちが通う月舘小学校での取材ビデオを流し、その後討論に入りました。システム上のトラブルで、ビデオがうまく流せなかったのが残念。
そして第三部は、ふくしま再生の会の活動内容の紹介。ここで計測班リーダーも登場し、最近の活動でわかってきた農地の土壌汚染の詳しい状況をグラフを見せながら報告しました。
詳しくはUstreamの録画をご覧ください。
Ustream録画(第2部から)
●東北大学惑星圏飯舘観測所への放射線モニター設置
飯舘村に東北大学の惑星観測所があることは以前から何度かご紹介しています。
東北大学とはいろいろとご縁があり、東北大学の研究者グループが菅野宗夫さん宅で活動中のわれわれを訪問されたのが昨年の12月。その際に、東北大学が飯舘村に協力して村内の放射線測定を行っていることも知りました。そして、今後は協力して観測所を活用していくことが確認できたのでした。
今回は、その協力プロジェクトの第一弾として、観測所に放射線モニターを設置するというのが任務です。
設置するモニターは、2日に持ち込まれ、測定データをサーバーに上げる設定とテストが完了していました。
前田の公民館で東北大のメンバーと待ち合わせて、そこから車で観測所まで上げるという段取りだったのですが・・・。
先週に続き、なぜかわれわれが行く週末は大雪で、ただでさえ4輪駆動でなければあがれないような道は平均で30cmぐらい、ふきだまりは50cmもの雪が積もっており、とても車では上がれない状況。しかも放射線モニターは両手で抱えなければ持てないほど大きく重い。
どうしたものかと思案した挙句、急きょ菅野宗夫さんに連絡をとって「背負子はないでしょうか?」とお願いしたところ、宗夫さんが用意してくれたのは写真にあるような「神輿」でした。
実際に上まで上げてみてわかりましたが、この神輿は雪の山道では最強でした。さすが宗夫さん、山のことなら何でも分かっている。
ともあれ、雪の中、大汗をかきながら観測所までモニターを持ち込み、無事設置完了しました。データも順調に上がってきています。
これで、南相馬市、飯舘村佐須地区、惑星圏飯舘観測所という3か所に同型のモニターが設置され、各地の線量の継時変化を記録することができるようになりました。定点観測箇所はさらに増やしていく計画です。
●GPSモニターの校正
「GPSモニター」というのは会員の吉澤さんが開発した携帯型の放射線モニターで、GPSを内蔵しており、線量とともに緯度・経度を記録できる測定器です。データはSDメモリーに蓄積され、そこからデータを回収するという仕組。
ふくしま再生の会では、いままで8台のGPSモニターを使用してきました。われわれが持って歩いて測定するほか、村民の方が一時帰宅した際に村内を計測できるように、このモニターを貸出ししています。
菅野宗夫さんがJAEAの除染モデル事業地区を計測したときも、このモニターを使用しました。
今後、さらに貸し出しを拡大したり、そのほかの地域での測定にも利用できるように、今回あらたに10台の製造を依頼しました。その校正作業が今回の任務の一つです。
「校正」というのは、正しい「シーベルト」値を表示するように調整する作業のことです。今回の校正はあらかじめ正確さがわかっている高性能モニターと並べて、低い線量率の場所から高い線量率の場所までの両者の値を比較して一致させるような係数を決めるという作業を行いました。
これで合計18台のGPSモニターが実働配備されました。
【速報】飯舘村19行政区の土壌中セシウム深度分布(第1版)
活動報告の中でもたびたびご紹介してきたように、1月から放射線計測班を中心に、村内の農地の土壌サンプルを深さ別に測定してきました。
計測班メンバーと、あらたに結成されたシニア測定隊(宇野さん、伊井さん)がこれらの土壌サンプルを精力的に測定してきましたが、最初のレポートがまとまりましたのでご報告します。
各グラフの横軸が地表からの深さ(cm)、縦軸が土壌の放射能(Bq/kg)です。
いくつかの箇所では再現性を確認するために、複数回採取し、分析しています。
土壌中のセシウムは、ほとんど(90%以上)が深さ5cm以内のところにとどまっていると言われています。実際、今回の測定でもほぼそれが確認されていますが、いくつかの地区ではもう少し深いところにまで広がっているところもありました。その原因については、さらに調査が必要と考えられます。
今後の土壌除染に活用していきたいと考えています。
エアロゾルサンプラー設置テスト
2月11-12日に参加した岡田勲さんの発言「たまに参加する私たちのような年配者はよいとして、常駐する宗夫さんや若い人たちが飯舘で作業をするときに本当にマスクなしでよいのか」という問いに、はっきり「定量的に」答えなければいけないと考えて、計測を計画しました。今飯舘で数μSv/hの線量のある地点の線源は主として土壌や植物また建物などセシウム137、134を付着しているもので、大気中に漂っているものではないと考えています。そのことは先日のテスト「一定方向を鉛で遮蔽した線量測定」からも推定されます。
しかし、本当に完全に無視してよいでしょうか?重装備で作業をしている政府関係ゼネコン作業員や外国人グループなどを見ていて、「事故当時ならいざ知らず、なにをいまさら」と違和感を持っていましたが、それなら、「ちゃんとデータで示しましょう」というわけです。
セシウムは常温で気体では存在できないので、大気中にあるとすれば、エアロゾル(大気中に漂っている直径数ナノメートルから数10マイクロメートルの肉眼で見えない微小粒子)に吸着していると思われます。これを採取する方法はフィルターの上に吸引して採るのが一般的です。このときに吸引するポンプとフィルターの種類で、ローボリュームエアサンプラー(ローボリ、10~30L/min)、ハイボリュームエアサンプラー(ハイボリ、500L/min以上)などと呼ぶ装置があります。吸引量が多いほど短い時間の情報が得られますが、装置も高価で中々手に入りません。
ヒトは1呼吸でおよそ0.5L、1分間に20回程度、1日に約15~20立米の空気を呼吸しています。知り合いの先生が古いローボリの装置を提供してくださったので、3月10日に宗夫さんのお宅の軒下に直径5cm程度のフィルターパックと、小さいポンプを設置しました。ポンプの流量を測定する流量計が稼動せず、現在は稼働時間だけを記録して、後で補正する予定です。およそ、30L/minの吸引量なので、測定器の精度を考えると、200立米程度の空気を吸引したいのですが、来週は見守り隊のスタートでON帰りにOFFにしていただくことにしました。
雪の中、荷物を受け取って下さった「やまとだ」の酒井さんご夫妻や、富士山頂でエアロゾル観測経験者のSさん、古い流量計のメカを調べてくださったシルバーボランティアの皆さん、設置について宗夫さんの応援で何とか曲がりなりにもスタートしたところです。
流量計や、もっと効率のよい装置を借りるなどの交渉も開始しました。春先の砂塵が巻き上がる頃や、花粉の季節はエアロゾルも増えるので、それまでに何とか観測システムをちゃんとしたいと思っており、今回は途中経過の報告です。
いつものように、10日昼に菅野宅着。昼食時に菅野宗夫さんが、8~10日に郡山市で開催された「農業及び土壌の放射能汚染対策技術国際研究シンポジウム」に出席した時の話を報告。興味ある内容も多々あったということなので、これからの除染の参考になることを期待します。
この日の作業は、1月からの「飯舘村19行政区の土壌中セシウム深度分布」の補足測定です。同時に、前回報告にあった放射線測定機の「GPSモニターの校正」を、やりながらです。
前回までの土壌中セシウム深度分布の値は既に出ていますが、同じ畑でも値がずれていたり、他の畑と分布が違ったりする場合は、念のため場所を少し変えて測ってみたくなります。
実際に複数回計ってみると、同じ畑でもけっこうバラツキがあります。放射能の降り方が均一でなかったりするでしょうし、また、こちらの測定誤りが無いとは言えないので、余裕があれば複数回計った方が良いのです。
今回は、アルジャジーラと、シンガポールのメディアが取材に来ていて、10日の臼石にはアルジャジーラが、そして翌日の菅野さんの家のそばの元ハウス地(ここは初めて)の測定にはシンガポールのテレビ局が取材することになりました。
菅野さんのハウス跡地の測定は、家のそばでシンガポールのテレビ局が丁寧に取材をしたので、それだけで11日の午前中がつぶれましたが、仕方ありません。海外に知ってもらうことも大事です。
その間に、これから行う田んぼの代掻きのための予備実験につき合いました。代掻きとは、田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業です。代掻きには次のような目的・効果があります。
以上は、農機具屋さんの説明です。私たちはこれをやることによって、表層に浮いた部分を除去すれば、除染が出来るのではないかということなのですが、失敗するとせっかく5センチ程度の表層に在る放射能を、もっと深くに分散してしまう危険性もあるので、慎重になります。
できるだけ浅く代掻きができればいいのですが、既製の代掻き機では難しいので何か工夫ができないかと昨晩みんなで考えたところです。
バケツにとっておいた畑の土に水を混ぜて、撹拌した上部と、少し放置しておいて下に沈殿した部分とで、放射能がどの程度違うかを測定するのです。
上澄み液を除き、沈殿土の入ったバケツの周りをへらでこそぎ、ひっくり返したところを見ましたが、底の部分には、予想通りに重い砂の部分が堆積していました。上下で、放射能の違いがどう出るかわくわくします。
蕨平は一回しか測定していなくて、長泥や比曽並みの高汚染地区なのにそれほど高く出なかったので、二回目の測定です。同じ飯館村でも、この地区は菅野宅から車で一時間ほどかかるので、ちょっとしたドライブになります。飯館村はみんなが想像してるよりずっと広いのです。
前日からの雪で、畑には雪がけっこう積もっていて、長靴がすっぽり入るぐらいの積雪ですが、やはり前回と違って掘る土も凍り方が少なかったので、ここで「GPSモニターの校正」をセットしている間に「アラ古希」の女性二人で、掘り上げることができました。
結果は測定待ちですが、再生の会で新たに「シニア測定隊」が結成されたので、今後は早く出てくるでしょう。
菅野さんの家の庭の片隅に、雪の中から顔を出して咲いているフクジュソウを見ました。もうすぐ春ですね。
最近は週末になると天候が荒れます。今回は気温が上がったため雪ではなく雨になりました。
今回のミッションは以下の通りです。
●フィールドルーターの取付
以前、宗夫さん宅に設置した気象観測装置+線量計がセットになったモニタリングポストに、雨の中の作業で「フィールドルーター」を取り付けました。フィールドルーターは、各種の測定データをサーバーに送り出す装置。ここはDocomoの電波が届かないので、WiFi経由でデータを送信します。
●融解凍土掃出しを断念
「融解凍土掃出し法」については、2月の報告でもご紹介していますが、溝口教授の提案に基づき、春に取り組む農地除染の「目玉」実験として準備を進めてきたものです。今回はその現地視察と準備ということで、フィールドルーターの取付作業を終えた教授は、雨の中、農地の見回りへ。が、すぐに帰ってきて、なんと「融解凍土掃出しによる除染はあきらめました!」と早々に断念宣言。
なぜかというと、枯れた草が地面を覆っている、地面の凹凸が激しい、雪が残っているところもあれば、とけて水たまりになっているところもある、など、凍土の上に一様にべちゃべちゃにとけた泥んこがあり、それを掃き出すという作業イメージには程遠い状態が明らかになったためでした。
春以降の戦術練り直しです。
●全体会議-春から夏へかけての活動方針
今回最大のイベントです。
夕方5時から夕食までの2時間で、それぞれのプロジェクトの現状と、今後半年間ぐらいでやることの整理と確認をしようという趣旨の会議です。なにしろ週末のボランティア活動ですので、時間切れ持ち越しという作業も多い。また各プロジェクトのメンバーが集まる機会もなかなかありません。そのような状況の中で、やりかけ、やりっぱなしも目立ってきています。これを整理して、効率的に成果を上げていくのが目的です。
以上のように盛りだくさんの議題だったのですが、分刻みの進行で予定どおり夕食の準備ができるまでにひととおりの報告と質疑を終え、残りの議論は夕食をとりながらということになりました。
田畑の除染に関しては、融解凍土掃出し法を断念しましたので、枯れ草の除去、平坦化、代掻き法、表土剥ぎ取り法など各種の作業の組み合わせ実験を進めることになりますが、短い時間では十分に整理しきれず、翌日以降に持越しました。
●明神岳モニタリングポストと土壌トラップの点検
昨年12月の報告にあるように、村内の中央からやや北西よりのところにある明神岳に気象観測+放射線測定のモニタリングポストと地表を流れる土砂を捉えるトラップを設置しました。これらの点検のために明神岳に登りました。装置はいずれも問題なかったのですが、途中の雪の上に動物の足跡を発見。形と大きさからみて、クマではないかと思われ、ちょっと緊張しました。
●上空の空間線量測定実験
ふだんの線量測定はだいたい地上1メートルで行い、必要に応じて地表数センチメートルのところでも測ります。ところで地上1メートルにおける線量というのは、空気中のガスに放射能があるわけではなく、地面や周辺の建物、樹木などに付着しているセシウムからの放射線の合計になっています。飯舘村の場合は、近くにせまっている山の樹木からの放射線も無視できないぐらい強いと考えられます。
このため、居住環境の線量を落とそうとするなら、どこからの放射線が強いのかを知る必要があります。
特定方向からの放射線を捉えるという試みもしていますが、今回はいつもよりかなり高い上空の線量を調べて、どこからの放射線の影響を受けているかを解析するための実験を行いました。
上空の線量を調べる方法として、リモコンヘリコプターなどいろいろ考えられますが、今回採用したのは風船。
風船にヘリウムガスを充てんしてたくさんつなぐことによってGPSモニターを空中に持ち上げようというものです。
ふだんは気にしていない線量計の重量ですが、いざ風船で持ち上げるということを考えると、これが案外重い。「ほんとに浮くのか?」という懐疑的な声も聞かれましたが、風船が50個ぐらいになったあたりから浮き始め、見事に上空の線量測定に成功。風船隊のみなさんお疲れ様でした。
●土壌から染み出す放射能の測定実験
凍土剥ぎ取り法などで剥ぎ取った放射能の強い土壌をどうやって処理するか。放射性物質を含む土壌が大量に発生するため、とても大きな課題です。われわれの実験では、農地からはぎとった土壌は農地の中一部に埋めるという方法を試みています。
埋める際にボルクレイマットという特殊な素材のシートで包むという方法と、掘った穴にそのままあるいはセメントで固化して埋めるという方法が検討されています。
土壌中のセシウムは粘土に強く付着しているため、粘土が移動しなければセシウム単体で水に溶けだして移動するということはないのではないかと考えられています。素掘りの穴に埋めるという方法の根拠です。天地返しという方法も基本的には素掘りの穴に埋めるのと同じことです。
これを実験室レベルで確認するために、大きめのザルの中にきれいな土を入れ、その中に放射能の強い土壌を埋め、上から水をかけて下から染み出した水に放射能が漏れだすかどうかという実験を行いました。
水の放射能はつくばに持ち帰って分析されます。
●飯舘村境の山岳線量計測
再生の会には、田尾さんというクライマーがいますが、もう一人畠掘さんというハイパークライマーがいます。この畠掘さんが単独で飯舘村の村境となっている稜線を歩いて線量を測るという計画が、今回実行されました。
単独行といっても、村内は計画的避難区域のため寝泊り禁止。したがって、登山開始と終了時にサポート隊の送迎が必要となります。
今回は村の南部の方の山から入っていったのですが、積もった雪の上に雨が降り気温も上がっているため、いわゆる「くされ雪」状態。腰まで重い雪に埋まりながらでは、進むのに非常に時間がかかることがわかり、2日目で断念となりました。雪が消えてから再挑戦です。
ところで畠掘さんもクマと思われる動物の足跡を発見。山に入るときには注意が必要のようです。
小宮地区の除染物質仮置き場見学会に参加してきました。
●それは1通のメールから始まった
すべては田尾さんから届いた1通のメールから始まる。
1月10日の「ユンボドライバー求む」というメール、しかも「至急に」ということである。汚染凍土のはぎ取り作業なのでタイミングを外すわけにはいかない。まずは知り合いの建設会社の友人、また鉄鋼会社の社長さんの顔が浮かぶ。何とかしなければと思案しているうちに時間はどんどん過ぎてゆく。しかし、単純な事実に気がついた。
自分で資格を取ればいいのである。
調べてみると資格名は「車両系建設機械(整地等)運転」という。ユンボ(油圧ショベル)、ブルドーザー、ホィールローダ、などの運転資格が一括して取れるのだ。ただし、3トン未満と3トン以上に分かれている。コマツ、日立建機、などの建設機械メーカーが公式の教習所を開設している。ブルといえばコマツの名前は以前から知っていたので、コマツの教習センターを選んでまずは電話での問い合せ。「年齢制限はありますか」と尋ねたところ、「18歳以上であれば」との答え。
これで第一関門はパスできた。
●教習始まる
2012年2月6日月曜日、コマツ八王子教習センターでの教習が始まる。
3トン以上重量無制限のコース、11日土曜日までの6日間である。朝の8時半から原則夕方の6時まで、昼休みは45分間である。最終日の土曜だけは午後一番に実技試験があり、午後2時頃に全日程が終了する。
昼食の予約は毎日朝の朝礼時である。8時には教室に入り、授業開始前に教習の先生が注文をとってくれる。
いよいよ教習が始まった。同じクラスの仲間は自分を含めて総勢5名、うち女性は1名、年齢は20代から50代の4人(推定)と70歳のこの私、である。最初の二日間は専ら学科である。概論に続いて、法規が重視されている。労働安全衛生法という法規に基づく教習なのである。職場の安全確保が最大の目的という立法趣旨であり、資格の意味である。続いて各機械そのものの分類に始まり、機械の構造、運転操作の要領、そして力学と続く。二日目、つまり火曜の夕方に学科試験がある。60%以上が合格である。50点満点中、10点が法規、10点が物理学(力学)である。なぜ物理学かと言えば、建設機械は重量物である。教習に使うブルドーザーで10トンは超える。斜面で「重心」の取り方を間違えたら大事故に直結する。下敷きになればまず人間は即死、建設機械は千万円は優に超える高価なものばかりである。破損は大損害である。
●みんなに助けられた
二日目の夕刻、学科試験のあと教官に相談してみた。福島に除染のため凍土のはぎ取りに行くのでユンボの資格を取りたいと。教官は「そうだったのですか。ではやりましょう」と言ってくれた。他にもユンボ希望の生徒がいた。実技では、ユンボ、ブルドーザー、ホィールローダー、とひと通り教習をやってくれるのだが、どこに重点をおくのか、特に最終試験に使う機械の選定はその都度違うのである。
ユンボのアームはいわば振り子である。振り子は高い位置から谷を下るように下降し再び今度は山に向かって上昇する。ところがはぎ取り作業はユンボのバケットを水平に移動しなければいけない。つまり、アームの振り子が下降するときはアーム全体を徐々に上げる操作を、逆にアーム振り子が上昇するときはアーム全体を徐々に下げる操作を同時進行で進める必要がある。凍土の水平はぎ取りはかなり高度な作業なのである。2本のレバーを左右の手で使い分ける入念な指導が続いた。
2月初めの八王子は残雪があって、特に実技の順番待ちのときは寒い。しかし凍土はないのだから、飯館よりは無論暖かい。大田区の自宅からは2時間はかかる。6日間、朝は4時起きの日々。最終日の午前は実技試験の練習時間である。
若い生徒たちに助けられた。練習時間を譲ってくれた。最終日はこちらも疲れがたまっている。絶対にあってはならないことだが、ヘルメットをうっかり忘れたときは自分のヘルメットを即座に差し出してくれた。二十代の若者である。
今思い出しても頭が下がる。
●飯舘村の凍土と格闘する
2月18日午後、飯舘村。宗夫さんのユンボと出会う。年式こそ違うが、コマツのユンボだ。宗夫さんから説明を受けて初日はならし運転である。操作性は八王子のユンボと大差ない。宗夫さんの指導は簡潔でわかりいい。練習用の教材は凍土はぎ取りの実験サイトに既に用意してくれていた。翌朝はいよいよ本番、凍土はぎ取り実験サイトでまわりの凍土をはぎ取りプールの底に落とし込む作業から開始。凍土は固い、ユンボの頑丈なバケットの歯で叩いてもなかなか割れない。凍土は手強いのである。作業が進むうちに宗夫さんのユンボに愛着が湧いてくるから不思議なものだ。
凍土を実験プールに落としたあと、汚染度の低い土を上からかける。この間、加藤さんが赤と白の旗を持って「作業主任者」として協力してくれた。「作業主任者」は労働安全を確保するために重要な役割を持つ。また、ドライバーにとっては運転席から見えない位置の作業指示を受けるときに大いに助かる。
初めての現場は宗夫さんという名教師に恵まれてなんとか切り抜けることができた。教習では経験できなかったタンクからの給油も体験した。ユンボドライバーとしての課題もある。あの「水平はぎ取り」の技(わざ)をさらに磨く必要がある。そして何よりも複数の操作をなめらかに同時進行できるようにならなければいけない。ユンボドライバーへの道はまだまだこれからである。
最後にユンボの教習を受けるときにこの能天気のぼくがひとつだけ恐れていたことがある。すべての試験を無事に終えたあとで教官から「これで運転免許はお出しします。ただしお願いです。くれぐれも運転だけはなさらないでください」と言われるのではないか、と。幸いにそうはならなかった。(2012/03/25記)